【不登校の真実】幼稚園から20歳まで引きこもった私が「勉強好きの支援者」になれた理由

不登校

20年間の「空白」が教えてくれたこと

幼稚園から20歳になるまでの約20年間。多くの人が「普通の学校生活」を送り、友人と青春を謳歌するその時間を、私は社会から隔絶された「引きこもり」として過ごしました。世間一般の物差しで測れば、それは取り返しのつかない「空白」であり、挫折の記録に見えるかもしれません。

しかし現在の私は、勉強の楽しさを伝えるVTuberとして活動し、不登校の子どもたちに寄り添う支援者としての道を歩んでいます。「不登校=勉強が嫌い」「不登校=未来が閉ざされている」という固定観念は、私の歩んできた道のりの前ではあまりに無力です。

20年という長い時間をかけて私が見つけたのは、学校に行かない時間の本当の意味と、そこから始まる新しい生き方の視点でした。

学校は嫌い、でも「教科書」は最高の暇つぶしだった

「学校に行かない=勉強をしない」というのは、大きな誤解です。私は教室の空気や集団授業には馴染めませんでしたが、知的好奇心そのものが枯れ果てたことは一度もありませんでした。

当時、私は「適応指導教室」に在籍し、学校とは別の場所で自習を続けていました。また、自宅にあった親のパソコンを借り、YouTubeで自力で知識を吸収する毎日。私にとって、学校の教科書は世界を知るための最高の「暇つぶし」だったのです。

特に倫理や社会、歴史の教科書には夢中になりました。「パスカルが言っていたのはこういうことか」と思索に耽り、夏休みの宿題では14枚もの作文を書き上げ、周囲を驚かせたこともあります。

好奇心に駆られていろんなことを知りたい、やってみようっていう意識は強かったんですけど、授業に出る気は全くなかったんですよね。

ここから言えるのは、現在の日本の教育システムと、個人の「純粋な知的好奇心」がいかに切り離されているかという事実です。決まった時間に、決まった場所で、一斉に学ぶスタイルが合わなくても、学ぶ意欲が死ぬわけではありません。教育システムに適応できないことは、決して知的な欠如を意味するのではないのです。

「眼鏡になりたい」——切実すぎる、家族との繋がりへの渇望

不登校という孤独の闇にいた小・中学生の頃、私はある奇妙な「目標」に執着していました。それは「眼鏡をかけること」です。

家族全員が眼鏡をかけている中で、自分だけが視力が良い。その事実に、私は耐え難い疎外感を抱いていました。眼鏡になりたい一心で、暗い場所で本を読み、ゲームをし、必死に視力を落とそうとしました。眼科の先生に「どうして眼鏡になりたいんだい?」と聞かれても、本当の理由は言えませんでした。一度は伊達眼鏡を買い与えられましたが、それでは納得できなかったのです。「本物の眼鏡」でなければ、家族と同じになれない、繋がれないと感じていたからです。

中学2年生でようやく視力が落ち、眼鏡が必要になったとき、私は深い安堵を感じました。これは単なる奇行ではありません。学校という社会から切り離された私にとって、家族と同じ外見を手に入れることは、自分の居場所を確認するための必死の生存戦略だったのです。「自分だけが違う」という恐怖を埋めるための、あまりに切実で純粋な祈りでした。

9年間のモノクロームな戦い、そして「ありがとう」の魔法

現在の支援者としての姿に至るまでには、長く険しい「個人の戦い」がありました。20歳を過ぎて社会に出ようと試み、正社員として働いた時期もありましたが、長続きはしませんでした。

その後、VTuberとして活動を始めましたが、そこからの9年間はまさに孤独な戦いでした。画面の向こう側でアンチに叩かれ、「自分には自分しか味方がいない」「自分はいらない子だ」という幻聴に似た自己否定の言葉に苛まれる日々。当時の私の世界は、人の顔が黒く塗りつぶされているような、色彩のないモノクロームな世界でした。

自分の感情を言葉にできず、反射的に「ごめんなさい」と謝ることしかできなかった私を変えたのは、支援活動を通じたコミュニケーションの本質的な変化でした。

ありがとうは魔法だと思ってます。

謝罪は自分を卑下し、相手との間に壁を作ります。しかし「ありがとう」は、自分と相手を対等に繋ぐ言葉です。自分を責め続けてきた呪縛を解き、他者との温かな絆を再構築する魔法。その響きが、少しずつ私の心を溶かしていきました。

世界に色がつく瞬間——「V福祉プロジェクト」との出会い

私の停滞していた世界が劇的に動き出したのは、2024年に「V福祉プロジェクト」に参加したことがきっかけでした。そこで初めて、私は「自分の意見を言っても怒られない」「ありのままの存在を尊重される」という、圧倒的な心理的安全性を体験したのです。

9年間の孤独な活動を経て、ようやく手に入れた「味方がいる」という感覚。それを知った瞬間、私の世界には一気に色がつき始めました。黒く塗りつぶされていた他者の顔がはっきりと見えるようになり、世界はこんなにも美しかったのかと震えました。

「自分は生きていていい存在なんだ」という確信。この感覚こそが、個人の能力や社会性を劇的に回復させる鍵であることを、私は身をもって証明しました。

大人は「自然体」が一番——子供が本当に求めている接し方

現在、私は支援者として子どもたちと向き合っていますが、そこで最も大切にしているのは「役割(仮面)」を脱ぎ捨てることです。

学校の先生、親、教育委員会の職員、大学教授。大人が「こうあるべき」という役割の仮面を被って接するとき、子どもたちはその期待を敏感に察知し、自分の本当の声を消してしまいます。私は子どもたちに対して、何も隠さず、一人の人間として自然体で接するようにしています。

「先生」として教えるのではなく、「一緒に動画編集をしよう」「Live2Dを学ぼう」と、同じ目線で新しいことに挑戦する。大人が等身大で楽しみ、悩み、遊ぶ姿を見せることが、子どもたちにとっての何よりの安心感に繋がります。そのフラットな関係性こそが、子どもたちの「やりたい」という意欲を呼び覚ますのです。

結論:生きることを諦めなかったあなたへ

幼稚園から20歳までの「空白」は、私にとって欠かせない人生の土台となりました。その時間があったからこそ、私は「普通」という言葉の危うさを知り、「当たり前は人それぞれでいい」という真理に辿り着くことができました。不登校という経験は、今では私という人間を支える最も強固な柱です。

もし今、あなたが「普通」になれずに暗闇の中にいるとしても、どうか生きることを諦めないでください。あなたの歩んでいる道は、決して間違いではありません。

最後に、多様な生き方を模索するあなたに問いかけます。

「あなたを縛っている『当たり前』という鎖は、本当にあなたが必要としているものですか?」

さらに詳しく知りたい方へ

また動画の内容についてAIがまとめたレポートを添付いたします。
不登校支援の一例としてご活用ください。

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